日本から帰ってきての1週間は時差ボケで死んでいたし、すでに2ヶ月も過ぎてしまっているので4月の日記をわざわざアップするのはやめておく。
夫はカナダに戻ってきて2ヶ月近く経った今でも日本ロスで、毎日SNSで日本の情報を見ては送りつけてくる。次はいつ行けるのか。
ロスといえば。
3月末だったか、4月初めだったか、まだ東京にいる時に、ビクトリアの日系文化協会の副会長のDさんからメールが届いた。会長のTさんがゴルフ中に脳梗塞で倒れて病院に運ばれたのだという。
Tさんは、70代後半の日系の男性で、会長をもう10年近く勤めている。もともと運動が好きな人のようで、夜7時からの理事会が終わったあとに、10時からのOld Timersホッケーの練習に行っていたりした強者である。ジョギングもしていたし、ゴルフも週に1-2回は行っていたようだ。仕事はすでに引退して長いので時間があるというのもあるだろうが、ホームレスの人たちのためのシェルターでも長年ボランティアをしており、日系の会では盆踊りと和太鼓のクラブのリーダーも務め、とにかくアクティブなシニアだ。私は以前から「Tさんぜったい私よりアクティブ」と思っていた。
そんな彼が倒れ、日常に変化が訪れた。私も日系の会では10年ほど理事をしていたので、Tさんとは週に2-3回はメールのやりとりをするのが普通だったし、昨年理事を降任したあとでも、よく問い合わせについてメールをしたり、イベント会場で会ったりしていた。
父親と言っても良いくらい年上の男性だけど、「親子みたいな」関係ではなかった。彼には奥さんも、すでに成人している子供も、孫もいる。あくまで「コミュニティのエルダー」としていつも頼りにしていた人だ。一緒にビクトリア代表としてカンファレンスに出席したこともある。
とは言え、奥さんともしょっちゅう会うし、息子さんとも面識があるので完全に日系の会だけでの関わりでもなく、彼らの結婚50周年記念のパーティが開催された時も呼んでもらった。
数年前、とあるレセプションに参加していた時に、Tさんが突然意識を失って倒れたことがあった。すぐに救急車で病院に運ばれたのだが、搬送された先の病院が当時私が住んでいた家のすぐ近くだったこと、車を持っていない私はその日はウーバーで会場に行っていたこともあり、救急車に奥さんが一緒に乗ることになって、私がTさん夫妻の車を運転して病院まで乗って行ったことがあった。それ以来奥さんに会うたびに「あれからTさん何も問題ない?」とちょくちょく様子を伺っていたのだが、その時は特に異常は見つからず、それから数年が経っていた。
そんな理由で、日系の会のDさんも、「まだごく少数の人にしか伝えてないんだけど、あなたには伝えておこうと思って」と連絡してくれたのだ。
4月の初めにカナダに戻ってきて、T さんの息子さんと連絡をとっているが、Tさんは6月の今も入院している。病状の詳細は伏せるが、彼が以前の状態で日系のコミュニティに会長のようなキャパシティで復帰することは、まず無いようである。
一般的に、人が病気や事故などの不幸に見舞われた時、軽い怪我だったり手術などで回復できる場合は、お花や家族への食べ物を送り、親しい仲ならお見舞いに行き、「早く良くなってね」とカードを送ったり、もしくは長引く病気だったり経済的に厳しい状況の場合はクラファンを立ち上げたり、などがよくあるパターンかと思う。
逆に最悪の状況でその人が命を落とした場合は、残された家族へのサポートを提供したり、お葬式やメモリアルに参列したり、その人を失ったことで自分自身もグリーフを経験したりするだろう。アラフィフともなると、確率的にその機会は増え続ける。
しかし今回のTさんの突然の入院で、私自身生まれて初めて、「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」を経験することになった。今まで普通に頻繁に接していた人と突然話せなくなり、でも亡くなったわけではなく、ただ、「昔どおりの日々」が突然消えてしまった。こういう言い方をすると怒る人もいるかもしれないが、逆に、人が亡くなる方が、残された人としては踏ん切りがつく。もちろん、家族であれ友達であれ、親しかった人を亡くすのは人生のうちで最も辛い経験の一つだと思うので「死んでくれた方がましだった」という乱暴な言い方をしたいのではないということを理解していただきたい。
親族が行方不明になった人が、遺体が発見されればそれはそれで気持ちの整理がつくが、結局どうなったのかわからない状況だと、その気持ちをどこに持っていけばいいのかわからない、という、あれである。
最後にTさんに会ったのは、私が日本に出発する数日前に開催されたHanamiマーケットだった。私はビンテージの着物や日本の雑貨を売るブースを日系の会を代表してボランティアしていたのだが、Tさんもその日彼の家に保管してあった商品を持ってきてくれたのだった。ごく普通の会話をして、お礼を言って別れた、何も特別な事のない日だったが、それが私が見た「普通のTさん」の最後の姿だった。
Tさんは容体は安定しているそうだが、言語能力に問題があり、以前のように普通に会話することはもうできないらしい。完全に回復する可能性はかなり低いそうだ。
Tさんはまだご存命なので、この「あいまいな喪失」を人に打ち明けるのもなんだかおかしな気もする。でもそれがまさしく「あいまい」なのであって、彼と親しかった人は、実はみんな感じているのではと思っている。
実はこの2ヶ月でたくさんを訃報を耳した。それに関する私自身のグリーフもある。「Tさんはまだ命があるんだからそういう言い方は失礼なんじゃないの。彼が回復したらまた彼との関係も復活するだろうし、そういう考え方はネガティブなんじゃないの」と思う人もいるかと思う。私自身もそう思う。でもそう考えずにいられないのが「あいまいな喪失」なんだろうな、と自分では思っている。
Tさんが「普通の生活」から消えて、代わりに私が引きついでやることも増えた。いつも以上に忙しくなった中、4月5月はずっとこのあいまいな喪失感を抱えて生きていた。
次回からは通常運転で5月の日記に戻ります。